リモートワークをしていると、一階で来客の気配!👍
あっ、帰ってきたな!
やはり、そうです。
介護サービスの車から父ちゃんが降りてきました。👏
となりには、知らないおばあちゃんが座っており、
順番に送ってもらっているようです。
とくに問題もなかったようで、ひとまず🍺✨🍺!
でも、この一週間の記憶は、あまりなさそうです。
介護施設の連絡帳には、二回風呂に入ったと書いてあるのに、本人は「一回入ったかなあ」
あっ、帰ってきたな!
やはり、そうです。
となりには、知らないおばあちゃんが座っており、
順番に送ってもらっているようです。
とくに問題もなかったようで、ひとまず🍺✨🍺!
でも、この一週間の記憶は、あまりなさそうです。
介護施設の連絡帳には、二回風呂に入ったと書いてあるのに、本人は「一回入ったかなあ」
日記:2023年8月12日
先週の在宅勤務日に、ひとりでレトルトのカレーを食べた。
それはある食品メーカーの「大辛」。
無理かなあと思いながらも、ほかに無いのでそれを食した。
最初の三口はきつかったが、しばらくすると、意外と食べられたのである。
そこで、今日はその「大辛」のカレーを妻に所望し、買ってきてもらった。
「辛ラーメン」を平気な顔をして食べる妻への挑戦状である。
「ん、辛い!」の第一声。
わたしは少しほくそ笑んだ。
ところが、しばらくすると、
「ご飯が冷めてくると、ちょうどいい旨さだわ」
という。。。(;^ω^)
「そ、そうやろ。。。(;^ω^) まあ、このくらいは大したことないわな」
と返事するのがやっとだった。
車の6か月点検へ行った。10年以上乗っている。日曜日の10時。気温は35度の猛暑でした。
半年後に車検を控えているので、買い替えも視野に入れてメインユーザーの妻にも同行をお願いした。
店舗の入り口には、30名近い来店者の名前が一覧で表示されており、私の名前は5番目くらいだった。
NISSANで買い替えるなら、キックス、オーラ、ノートの順か。
2023.7.24 Mon.
ネットのニュースで、森村誠一さんの訃報を知る。
「人間の証明」「野生の証明」などは、映画やテレビで何度も見たし、文庫本も買った記憶があるが、その本はいまは実家の倉庫の奥であろうか。
一大ブームを巻き起こした、この人も、やはりこの世を去る。
90歳というなら、我が父と同学年か。
その父は、まだ細々と生きている。
もう少し歩いてほしいとは思っているが、この年齢からウォーキングなどしないだろうし、実家の周りも危なくて一人では歩けないだろうから、日々益々歩き難し。
足腰が弱れば、母の負担も大きくなるや。
さてさて、いかがしたものかな。
〆
2023年 7月18日(火)
今日は三連休明けの在宅勤務!
リモート会議に必要な、これ👇を購入した。価格も格安であった。
■スピーカーフォンのメリット
デメリットへの対応策としては、ほんのちょっとめんどうだが、こちらが何か質問などして、相手が話すときに、さっとマイクをオフにすれば問題はない。
というわけで、今日も快適なリモート会議ができた。 〆
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2023年7月16日 日曜日 暑い
図書館から「予約の本が準備できました。受け取り期限は一週間です。」というメールが来たので、図書館へ本を借りに出かけた。
ついでに、ペットボトルのお茶と豚肉ロースパック2つとコーラの買い物も頼まれた。
車はブラックの車体のためか、さらに暑い気がする。
こんなに暑いのに、図書館の駐車場は、ほぼ満車である。
出入りがあるので、間もなく駐車完了し、図書館へ入った。
今日は予約した1冊(神の悪手 (新潮文庫) [ 芦沢 央 ])を受け取りに来たので、時間はかからない。
ただし、日曜日のためか、大量の本を抱えた親子が、「読書通帳」のパソコンの前でバーコードの読み取りをしている。
「今日は印字するの無理やな」
わたしは、返却時に、しかも「土曜日」に印字しよう、と決めて図書館をあとにした。
〆
2023年7月16日 日曜日 暑い
9時ごろ、遅い朝食を取った。
そういえば、車のディーラーから「六か月点検のはがき」が来ていたのを思い出し、営業時間の10時で電話したが、誰も出ない。
10時15分にリダイヤルし、なんとか7月中に予約ができた。
これで、お盆の帰省には、点検済の good condition でドライブできるというもの。
図書館に立ち寄ってから、次は、お買い物である。
気分は、夏、海水浴、BBQと言いたいところだが、暑すぎてドライブをする元気もなく、さっさと帰宅した。
11時30分だ。朝食を食べたのが9時なのに、もうお腹が空いている。困ったものだ。
妻が、【サンヨー食品】サッポロ一番 みそラーメン 袋麺 5食入×1袋のもやしトッピング版を作り始めた。
わたしは、「たけしのTVタックル!」を横目で見ながら、お盆を持って、いつもの位置でラーメンができるのを待った。
昼食を食べ終えたわたしは、ソファで少しウトウトする。
しばらくして、「そういえば、会社のノートパソコンにドックというやつを接続したが、USBが反応しなかったな。」と、思い出した私は自室に行ってパソコンで検索を試みた。
いちばん上のリンクをクリックした。
そうすると、「こんにちわ。製品のことで、何かお困りですか? テクニカルサポートがお伺いいたします」とでた。
アイコンには女性の姿が。。。「ん~、いきなり女性とチャットかあ」
今日は会社に居るわけでもないので、状況が説明しづらい。普通の記事で調べよう!最近のサポートはすごいなあ。
若手社員が調べますと言っていたので、今日はこのくらいにしておこう。
後日、ドックのUSBポートに給電されて、キーボードとマウスは使えるようになったのだが、原因は不明。
そのかわり、高解像度のモニタにおいて、Excelのリストなどをスクロールさせると、「文字がちらつく」現象が出始めた。会社の同僚も同現象を確認したが、原因不明である。
〆
日時:2023年4月21日(金)
場所:平磯海釣り公園 天候:晴れ 同行者:奥さん
狙い:おいしいチャリコ、尺メバル、おいしいガシラ
〆
武士から始まった遊びの釣り
江戸時代になるまでは、仏教の教えにより、漁師以外の釣りはあまり好まれなかったようである。当時の寺院の力は強く、禁止だったと言った方が良いらしい。
中国の詩文や絵画が輸入されるようになった江戸時代からは、やや解放され釣りが行われるようになっていったようだ。
中国から伝来した漢方薬の梱包に使われていたテグスを釣りに応用したのが、テグス伝来の地、大阪であったという。そしてそれを売る商売も始めたようである。さすが大阪商人。
河の水が濁っていた中国では、この透明のテグスを釣り糸に使おうという発想がなかったという。日本は、世界の釣りに貢献している。
江戸時代の釣りの伝説がいろいろあるらしいが、怪談というのはどういうことかといえば、結局釣り人が亡くなった原因を、怪魚やら虫やらのせいにしているような感じであるが、まあひとつひとつの話は面白い。釣り人を水中に引き込むオオグモ、琵琶湖の大鯰、千曲川の大ガマガエル、カツオ釣り漁船を襲うジンベエザメなどなど。
現代なら馬鹿にする方も多いかもしれないが、当時は信心深く、人々も純粋で本気であったろうと推察される。
戦国の武士たちも、戦の合間に川釣りなどに勤しんだようである。鱸二十匹など、ちょっと凄すぎではなかろうか。釣りというより漁かも知れない。
鮎釣りは「鮎数千二百」とか、「うぐい二百余り」とか、ものすごい採り方である、そしてハゼ釣り、クロダイ、記録は「魚釣覚」に記載されているとのこと。
釣り旗本、津軽采女政たけ(つがるうねめまさたけ)は、立派な「何羨録(かせんろく)」なる三巻の大著を残した。
また、徳川綱吉の生類憐みの令は、釣りも含んでおり、武士から釣りの楽しみを奪っていた。もちろん庶民も。魚が食べられなかったわけではないが。漁師だけ許可されていたらしい。
江戸時代の後期には、女性もたちも男性に混じって大いに釣りを楽しんだ、と書いてある。知らなかったとはいえ、驚きである。
また、浜御殿なるところで、釣台なども設けられ、女性も和服で釣りをしている浮世絵などあれば、その事実は疑いようもない。すでに海釣り公園の原型があるではないか。すばらしい。
そして、「御釣殿につりたれ給ふに、いをもあまた得給ふければ、興にいらせ給ひ、いましばしとおぼし給えど日もたけぬとて昼の御ものきこしめし・・・」とのことで、あまりに面白いので、ランチの時間だが、もうちょっとやりたいと女性が言うのである。
これは、わたしも身内で体験済みである。
また、当時の道具と現代の道具の違いから、アドバイス内容も変わる点が面白い。
たとえば、リールが無い当時は、小潮の時が釣りやすいとなる。もちろん大潮の方が大物が釣れることも分かっているのだが上級者向けのようだ。
針も根掛かりしても、針を失わない様、針自体が柔らかくて、根掛かったら引っ張れば、伸びて回収できるという具合である。この工夫はすばらしい。でも、大物には向かない。
江戸時代、生きた魚はウオで、死んだ魚は、サカナと呼んだらしい。
江戸時代の「何羨録」には、二十一種類のオモリの絵が残されている。日本人はまめである。竿や針、ウキに天秤まですでに江戸時代に開発されている。
天秤と錘とウキが一体になった仕掛けがあり、このアイデアは、底取りをしなくていいという優れものである。中央に吊り下げられた錘が水底に着くと、天秤はウキの浮力によって、海底からの錘の糸の長さだけ持ち上げられるから、その長さと両天秤の糸と針の長さを調節しておけば、針先は必ず底から何センチに固定できるはずである。実際には潮流にも依るし、その両天秤仕掛けに魚が近づくかどうかという問題はあるが、ハゼが釣れていたなら問題なしであろうと思われる。
「釣客伝」によれば、「細かき当たりにても大魚あり」とある。逆も書いてあり、当たりの大小で釣れた魚の大小は分からないということだ。
江戸湾に注ぐ隅田川でのハゼ釣りを楽しんだようだ。
「江都の士民、好事、遊び好きの者の扁舟に棹さし、蓑笠を擁し、名酒を載せて、竿を横たへ、糸を垂れ、競いて相釣る。これ江上の閑涼、忘世の楽しみ」とのこと、酒を飲んで、釣りを楽しんでいたのね、江戸の武士。羨ましきことなり。
また、タナゴ釣りのエサとしてうどん(うんどん)も使われた。
「たなご。うんどんにてつくり、くひよし」(江戸海川録)
ふぐを食べることができたのは庶民だけ。大名がふぐにあたって死んだらえらいことだからだそうだ。
鮎釣りもさかん。友釣りは、1820年ごろの発明らしい。鮎は餌釣りが困難であるから、このような釣り方が発明されたのだろう。
鯰(なまず)という漢字は、和製とのこと。本来の漢字は「鮎」とのこと。まちがったそうだ。たしかに沼の底をひとり占めするような感じかもしれない。鯰に充てる漢字が無くなって、この字を作り込んだと。
文武両道ならぬ、釣武両道とはこれいかに。この時代の武士も釣りが大好きだった様子。東北の庄内藩の武士たちは、「名竿は名刀より得難し」と言っていたと言う。
また、懐のあまり暖かくない幕臣が五月の木場で、テナガエビを五、六本の竿で釣る方法なども紹介されている。
その幕臣山本政恒が桜田門外の変のとき、江戸城に勤務しており、井伊家の家来がなぜ浪士に簡単にやられたのかという貴重な証言を『政恒一代記』に残していることも書かれており、気になる方は本書か一代記を読んでみるといい。
その政恒さん、いまのディズニーランドらへんで、サヨリを網で取っていたらしい。
また、舟釣りでのクロダイの釣り方も記してあるが、仕掛け多少違うが、魚とのやりとりは現代のものと全く同じで、その研究心に感心するばかりである。
そして、隅田川下流での納涼船に芸者と料理人を乗せて、釣りを楽しむ図など見れば、昔の人も今以上に楽しんでいたのだなと分かり、嬉しいやら羨ましいやら。
釣った魚を、舟の上で料理させ、芸者さんと酒を飲むのである。お金持ちは、いつの時代も最先端であるなあ。
最後の将軍、徳川慶喜は実弟と、明治23年から37年の15年間で、約400回釣行したというから、ひと月に2回以上は釣行していたことになり、よく釣れる季節に限れば、その2倍くらいは行っていたことになるのであろうか。これは弟の昭武の『川漁拓』という釣り日記に残されている。
当時、日本の竹竿は世界で群を抜いており、各国の人が欲しがったという話を聞けば、日本の釣り文化が如何に素晴らしいかが分かって嬉しい限りである。
長辻象平さんのプロフィール(本書の紹介文より)
1948年、鹿児島県出身。科学ジャーナリスト、産経新聞論説委員。京都大学農学部卒業。
『釣魚をめぐる博物誌』『江戸釣魚大全』『江戸の釣り』。時代小説に『みずすまし』『あめんぼう』『闇の釣人』など。
〆